アイスコーヒーについて
この間、カフェではなく喫茶店に行ってきました。昭和の匂いのする喫茶店。やっぱり落ち着きます。
喫茶店って、大人!のオアシスのような感じがします。大手コーヒーチェーンやコンビニコーヒーに押され、閉店も多いようですが・・・。
今日のように熱い日に、涼しさとアイスコーヒーを目当てに。わたしの行く喫茶店は、大手コーヒーチェーンの隣にあります。そのせいか、うるさ過ぎず静か過ぎない店内が心地よいです。
最近、自分でアイスコーヒーを淹れています。濃いめにハンドドリップして冷蔵庫でじっくり冷やしたらとてもおいしかったです。
でも、毎朝手間なく飲みたいなと思ったので、水出しコーヒー用のポットを買おうと思ったんですが、試しにフレンチプレスで淹れてみたら、これがまたおいしかったです。
水出し特有のさわやかさがありつつ、フレンチプレス特有!?のコクも出ていて朝にピッタリです。
作り方は、簡単です。フレンチプレスに挽いた豆を入れて、お湯ではなく水を入れて冷蔵庫に一晩置くだけです。
夏になってコーヒーを飲む頻度が減るかなと思いきや、このアイスコーヒーのおかげで夏も毎日飲んでいます。
そんな勢いにのり、「イッタラのオリゴのカップ」と「ハリオの手動ミル」を買ってしまいました。
オリゴは、マグカップですがハンドルの無いタイプです。小さめのサイズで、ホットでもアイスでもおいしくコーヒーが飲めます。
ソーサー付のコーヒーカップは、母親にもらったものがいっぱいありますが、わたしは、マグカップの方が好きです。
毎年、誕生日にマグカップを買おうかと思っています。わたしは、9月生まれなので早速1か月後に買う権利が発生します!楽しみです。
音について
「うつ」を発症してから、その「うつ」という病気自体は解消されても、気になるものがあります。「音」です。
疲れたり、ストレスが溜まって来たなと思うと、「音」がすごく気になるのです。スチール製の引出しを乱暴に閉めたときに出る音。いつもは、さほど気にならない音が気になる。
AMのおしゃべり系ラジオのDJの声。内容がどうでもいいことだと、さらにうるさく感じ電源オフです。
ひどくなると大好きな曲でさえも、聴きたくない。静寂が欲しい。
インターネットで調べたら、心身を落ち着かせること。そして、耳を休ませることが大事とか。
業務用の耳せんを頂きました。これが、すぐれものでした。完全に音がシャットアウトされます。耳の中の血管の脈打つ音が聞こえる。この耳栓には、ひもが付いていて、そのひもに風が当たるとかすかに風の音が聞こえます。
静寂って、こんなにいいものかと思いました。余計な音がシャットアウトされると美しいものがより美しく見える。なんでもない公園の木々の緑そして木漏れ日が美しい。
そして、ヨガの深呼吸が不思議といつもより深くできたり、いつもより深く体がねじれる。集中力が違うんでしょうか。
「うつ」になってから、かえって体への意識が変わり、自分自身の体のコントロールが出来るようになってきました。
寝ていても耳は音を聴いているわけで、耳そのものを休ませることは必要なんだろうなと思います。休息をとった耳は、音がクリアに聞こえるだけでなく体も軽くなります。
人間の体は不思議です。毎日、目が覚めて普通に生きていること自体が奇跡といいます。だからこそ、体へのいたわりが大事だと最近強く思います。
味について
ガンが再発した大橋巨泉さんは、味覚がなくなったそうです。「ラーメン食べても、味を感じない」「チョコレートは甘くなくて、苦いだけだった」「伊達巻きは、サバサバしていてティッシュ(ペーパー)をたべている感覚」だそうです。
わたしも以前、ひどい「うつ」になったときに、食べ物の味がしなくなりました。「味がしない」そんなことくらいと思われる方もひょっとしているかもしれません。なってみないと分からないと思いますが、味覚という感覚が無くなる、それは「恐怖」と「絶望」を強く感じます。おおげさな話しじゃないんです。
巨泉さんは、ガンそのものの影響もあると思いますが、体重が20キロ近く落ちたようです。味がなくなると、人間食べれなくなります。
食事とは楽しみの時間なのに、味が無ければ栄養分を取るだけの苦痛な作業になります。幸いにして、巨泉さんの味覚は戻ったそうです。
巨泉さんって、歯に衣着せぬものいいで、賛否両論ある人のようですが、わたしはなんとなく昭和の匂いのするおおらかでちょっとウザい感じ(笑)が好きでした。これからも続く闘病生活がんばって欲しいと思います。
今、とあるコーヒー会社の「モカ」「キリマンジャロ」「コロンビア」「スペシャルブレンド」などを購入して味や香りの違いを楽しんでします。この違いを楽しめることに感謝して今日もコーヒーを味わおうと思います。
こころとからだについて
「うつ」から抜け出すためのわたしの術は、「断捨離」と「ヨガ」です。
「嫌な思いをする」→「また、嫌な思いするじゃないか」→「行動を躊躇する」→「全てのことに恐怖感がつきまとう」→「心も体も緊張状態になる」→「毎日疲れ果てて何もやる気がなくなる」
わたしの悪いサイクルです。程度によりますが、「何もやる気がなくなる」状態からヨガをはじめても、すでにガチガチになった体をほどいていくのは容易ではありません。それどころか、ヨガ自体をやる気力が起きなくなるときすらあります。
そんなとき「寝たまんまヨガ」というアプリに出会いました。毎日寝るときにできる。疲れ果てていても、文字通り本当に寝ながら出来るのでどんなにだるくてもヨガをすることができます。
このアプリ人気のようですが、本当に素晴らしいヨガのかたちだと思いました。最初に体の様々な部分に力をいれ(緊張状態)から、ゆるめる(緩和状態)。ヨガの真髄ですね。
そして、鼻からの深呼吸、からだの各部分へ意識を向ける。左足の薬指なんて普段意識しませんよね。そこに意識を向けると当然のことながらそこに左足の薬指は存在している。意識をすると不思議なことに軽く痙攣する。
からだを構成するパーツをないがしろにしていたんでしょう。存在を認められたように体の各部分は反応します。そして、からだもこころも本当に気持ちよくなる。
本当!?のヨガを20~30分した後、この「寝たまんまヨガ」を10分程度すると生まれ変わったような気持ちになります。
その後に飲むコーヒーは、とても深い味がします。味覚が鋭くなったというより本来も味覚に戻ったんでしょうね。味覚を初めとして、人の感覚とは心も体も整わないと本来の感覚を発揮できないように思います。
コーヒーを本当に味わい深く飲むために、心と体のメンテナンスを怠らないようにしたいと思います。
最近思うこと
最近、気持ちが沈んでしまい、ブログの更新をさぼっていました。今回は、「うつ」だったのか正直わかりません。
ただ、今までの経験を生かして、気持ちの立て直しをすることが比較的短期間で出来ました。
何度となく、この沈んだ状態を繰り返しています。以前は、そんな自分は不幸だとばかり思っていましたが、今はちょっと違います。
わたしの知り合い二人の話しです。
Aさんは、会社を経営していて、バリバリ儲けています。でも、お客さんに土下座することもしばしば。
溜まったストレスの矛先は、奥さんです。罵声を浴びせたり、暴力も振るうそうです。
Bさんは、サラリーマンです。「うつ」になり、1年以上休職して、ようやく職場復帰したそうです。もともと、花形の営業職のBさんでしたが、転属を希望し今は比較的ストレスのない環境で、収入は激減しましたが、がんばっているそうです。
家に帰るとしっかりした奥さんとかわいい娘さんが待っているそうで、家族といるのが最高に癒しの時間だそうです。
どちらが、幸せだと思いますか?Aさんが不幸で、Bさんが幸せでしょうか?
お金を軸に考えると、Aさんはお金持ちです。仮にAさんが、「お金があれば何でも買える!」し、奥さんと離婚しても「お金があればもっと綺麗な女の人と結婚できるわい!」という考えの持ち主であれば、Aさんは幸せなのかもしれません。
お金ではなく、家族の絆で考えると・・・どっちが幸せかは分かりますよね。
幸せって、その人の価値観や考え方で決まるような気がします。全てに満たされている人は、おそらくいなくて、一つ一つの不幸に折り合いを付け、一つ一つの幸せを本当にありがたく感じることが大事なんだと思います。
わたしが、「そううつ」であることも、自分のこころの成長に必要な儀式と思うと不幸とは思えません。長男が知的障害ですが、それにより長男に人間にとって本当に大事なことを教えてもらっていますからラッキーなんです。
確固たる自分にとっての価値観を認識すること。そして、自分にとっての幸せに向かっていくこと。それが、この残酷な世の中を生きていくために大事なことのように思います。
音楽について
最近、音楽を本当に楽しむ心の余裕が出てきました。そして、自分にとって心地良い音楽の種類が変化してきているような気がします。
Youtubeで気になるバンドの曲を聴いたり、色々なバンドについて知りたくて一般の方のブログを観たりしています。
そんなYoutubeのコメントなどを見ていると気になることがあります。
「この曲、○○というバンドの○○という曲のパクリじゃない?」
「このバンド、ベーシストとドラムは最高だけど、ギタリストが下手すぎて・・・。」
ロックが生まれて半世紀、メロディラインとかリフって多少似てたりカブッたりするもんじゃないかなと個人的には思っています。わたしにとってそんなことは関係なく、その曲の根底に流れるものを感じて、かっこいいとか、時に感動するのがロックだと思っています。
それから、テクニックに関してですが、わたしは幸か不幸か幼稚園児並みにしかギターが弾けません。だから、テクニック面が気になりません。
確かに、テクニック=表現力という部分があり、それが感動に繋がったりするときがありますが、ロックってそれだけじゃないと思っています。
素人が聴いても、下手だなと思う演奏。でも、下手だからこそ逆に熱情を感じたり、退廃的な雰囲気を感じたり・・・。
ロックって、如何わしくて、だらしない不良の音楽とわたしは思っています。古くさい昭和の男の考え方ですかね。
わたしにとって最高の音楽は、自分の耳で聴いて、気が付くと2回3回とリピート。1時間くらいはリピートしても気持ちのいい音楽。それが、全てです。
ギターは下手ですが、40年ロックを聴いてきた自分の耳を信じています。今日は、金曜日。パソコンのミュージックプレイヤーに入っているごちゃまぜのプレイリストの曲を聴きながらビールを飲みたいと思います。ロックは、最高です。
コーヒーと音楽 ~Toeに感じる心地よさ
最近、Toe(トー)というバンドの音楽に、言い知れない心地よさを感じています。いわゆるポストロックというジャンルのようですが、ポストロックってオルタナティブロックと同じくジャンルに入りきらないバンドの総称であって、ジャンル名じゃないような気がするんですが。どうなんでしょう?
「グッドバイ」という曲、繰り返されるメロディ、何とも言えない浮遊感。ある意味「川のせせらぎ」のような心地よさをわたしは感じます。
繰り返しから、次のメロディへの展開も本当に脳内に気持ちいいという感じです。
Toeのメンバーは、みなさん職業を持っているそうです。(ドラムの方は、プロミュージシャンのようですが)
職業を持っているから、本業ではないわけで、だからこそ自由な音楽が出来る。わたしが若いころ描いていたロックバンドの自由って、定職に着かないでやりたいことをやるアウトロー的なものでしたが・・・。
でも、バンド一本でやっているがゆえに、例えば売れるために妥協が入るとか、まわりに何かと言われるとかがあるんでしょうが、稼ぎを他で立派にあげていれば、何にもとらわれずに自由に音楽ができる。
いや、でも実際は仕事をやりながらの活動って大変なんでしょうね。でも好きなことだから、苦労じゃないかもしれません。どちらにしても、音楽を本当に楽しんでいそうなToeのメンバーが羨ましくも思えます。
そんな自由で心地よいToeの音楽を聴きながら、飲むコーヒーは格別です。いや、Toeの場合はビールの方が合いますね。ほろ酔いで、心地よいリズムを聴いていると多幸感に包まれます。体が自然に揺れてきます。Toe最高です。