CAFE Sharonへの道のり

Sharonという名のカフェを開きます。日々思ったことを書いています。

出来ることと出来ないことについて

40歳を過ぎて、本当の意味で理解できたことがあります。それは、人にはそれぞれ出来ることと出来ないことがあるということ(笑)

 

実は最近まで、なぜこの人は、こんなこともできないの!とか思っていました。例えば、どうしたって、片づけできない人っていますね。

 

自分自身がどうしてもできないこと。人前でのスムーズなスピーチ。いくつになってもガチガチです(笑)。

 

だから、相手が出来ないことを許せるようになりました。だって自分が出来ないことって、いっぱいあるんです。そんなことに、気づかずに長らく生きてきました(笑)

 

せっかくだから、みんなで補いあって生きていきたいものです。仕事ができる人って、なんでもかんでも出来る人じゃなく、人を適材適所で使えるコミュニケーション能力が高い人を言うんだとわたしは思います。

お酒について

最近、ネットで出会った人の影響で「ラム」や「アマレット」といったお酒に、はまっています。

 

いつもは、一杯目がビールで、その後は焼酎・ウイスキーを延々と飲むコテコテなわたし。これらのお酒は、とても新鮮。

 

こういったお酒をゆっくり飲んでいると、妙な充実感があり、不思議と酒量が減りました。

 

ネット上での出会いですが、この人とはフィーリングがとても合い、この人が話題に出したものを、なぜだか試したくなるんです。

 

そして、素直を気持ちで新たなものと出会う。なにか、幸せを感じます。

川と遊ぶこと

以前から、川が大好きでした。その清々しい眺め、癒されるせせらぎの音。

 

わたしのお盆休みの4日間は、毎日夜明け前に自転車で川の上流域まで走りにいき、その周辺を軽くジョギングし、汗だくのまま川で泳ぐという一人トライアスロン(笑)をしていました。

 

泳ぐというよりも、サンダルに履き替え上流への川上りです。この季節、川上りは最高に気持ちがいいです。

 

4時か5時頃家を出発し、奥さんと息子がまだ寝ている8時前には帰宅。起きてくるまでに、朝食とアイスコーヒーを用意しておく。完璧です(笑)。

 

毎朝自分のしたいことをしているのに奥さんに、文句を言われません。ゴルフやってたときは、あんなに嫌な顔してたのに(笑)。

 

今は、家族が寝ている間にリフレッシュして、帰ってきたら家族サービス全開です。これが、渓流釣りにはまったりすると半日~1日家を空けて、嫌がられるパターンになってしまうんでしょうね。

 

支援学校に通う中学校一年生の長男と、普通の学校に通う小学校3年生の次男と休みの日100%一緒にいたいし、でも一人で完璧に解放される時間もやっぱり欲しい。

 

というわけで、私40歳を過ぎましたが、誰にも迷惑かけない「川ボーイ」になります。

戦争について

先日のNHKのドキュメント番組で広島被爆の特集をやっていました。

 

次男とお風呂あがりに、見ていたら被爆の語り部の方が、学校で被爆体験について話したときの出来事を話していました。(風呂あがりに、次男の体を拭きながら見てましたので、正確ではないかもしれないことをご了承下さい。)

 

学校で被爆体験を話していると、全く話しを聞いていない生徒さんがいたそうです。その方が「話しを聞きなさい」と注意したら、その生徒さんは「うるさい!この死にぞこない!」と言ったそうです。わたしは、テレビを見ていて耳を疑いました。

 

その方、その時はさすがに頭にきたそうですが、その後ふと「自分の話しは、ひとりよがりでおしつけがましかったんではないか?」と思ったそうです。

 

そして、その方の取ったその後の行動は、「いつも生徒さんと一緒にいる先生に、体験を伝えて、先生から生徒さんに伝えてもらう」ということでした。

 

その話しがどんなに貴重な話しでも、受け止める子供たちとの信頼関係がないのに、いくら話ししてもダメだと思ったそうです。わたしだったら、切れて二度と語り部なんかやるかと思いますが、即座に考え方を変えて挑戦する。本当に素晴らしい方だと思いました。

 

その話を、お風呂からあがったうちの奥さんにしたら、「その子、発達障害じゃないかな」っていうんです。自分自身が、発達障害の子供を持っていながら、「死にぞこない」という言葉のインパクトが強すぎて、怒りが前に出過ぎて、そういう子たちのことを忘れていました。

 

うちの長男は、知的障害もあるため、全く会話が出来ませんが、発達障害にも様々な種類あり、普通!?の子に見えて、このような「暴言」を吐く子が非常に多いんです。

 

最近、長男の就労(仕事)について、真剣に考えだし、果たして仕事自体出来るのだろうかと思っていたところでした。しかし、この「暴言」を吐いてしまう子たちは、学習能力はそれなりにあるので、一般企業に入れますが、そこからが大変なのです。

 

職場で暴言を吐いてしまい、周りの人たちに嫌われてしまい、結果会社に行かなくなり、会社をやめてしまう。ところが、この暴言を吐いてしまう行為、これは一種の病気!?なのですが、こころ!?の病気なので誰も同情したり、助けてくれないのです。

 

とても、生きにくい子たちなんです。

 

幸いにして!?、うちの長男は時々他の子に、手が出てしまうときはありますが、基本平和主義です。周りの人たちみんなが、長男を理解してくれています。ですから、今のところは、周りのみんなに本当に愛されています。

 

比較など出来ませんが、どっちが幸せなのか?

 

すみません。話しが二本立てになり、しかも収集つかなくなりました(笑)何を言いたいかというと、いろいろな立場・状況にある人がそれぞれにいて、それを一つ一つ理解していくことの重要さについて話しをしたかったんです。

 

自分が相対する人に対しての理解、その積み重ねが、分かりあえる世界の実現を可能にすると信じています。

 

絶対に言えることは、そもそも、相手のことを考えれば戦争など起きる訳がないんです。

素材について

わたしが読者登録している、かなり断捨離美人な「クレさん」のブログです。

celf.hatenablog.com

「アルミの入れ物」とても素敵な素材感だと思います。

 

わたしは、半永久的に使え、古くなっても、傷付いても、それが味になる金属というモノにすごく惹かれます。

 

わたしの「コーヒーケトル」は、くすんだ感じのアルミ製です。洗ってあげて、丁寧みがくとケトルが喜んでくれるようです。

 

わたしの「自転車」は、アルミ製です。昨今カーボン製が主流のようですが、アルミの溶接跡がなんともいえず好きです。一生の相棒にしたいと思います。

 

むかし、わたしが小学生のころ、バケツはブリキでした。悪さをしたわたしは、じいちゃん先生に、両手に4つ!の水入りバケツを持って廊下に立たされたいう楽しい思い出があります。漫画のようですが、本当の話です。

 

マグネシウムボディのモバイルPC、真鍮の鍋、シルバーのアクセサリー・・・愛着のあるモノって金属製が多いです。

 

先人の知恵が詰まった色々な種類の金属。錆びにくいとか機能として進化した結果、色々な金属を生んだんだと思いますが、その質感も個性的です。それぞれに、いいところ悪いところがあって人間みたいですね。

 

その他に愛着が湧くモノは、「革」「木」「ガラス」です。コーヒーグッズで、金属と「この3種類の素材」の組み合わせが絶妙だとグッときます。購買意欲を掻き立てられます。

 

ガラス製のドリッパーと木製のスタンド。木のハンドルのコーヒーサーバー。鋳物と木とガラスが絶妙に組み合わされたミル。

 

アクリルとか樹脂って、使いやすく軽いので機能的ですよね。でも、わたしは愛着が湧かないんですね。便利なものがいいかというとそれだけではないのが、人間の複雑なところでしょうか?

 

うまく、締められませんでしたが(笑)。好きな素材のモノに、囲まれた生活は、こころを豊かにしてくれます。

 

クレさんの無駄なものがなく、愛するモノだけを置いて過ごす生活。本当に、豊かで美しいと思います。クレさん、快くブログ引用させて頂いてありがとうございます。

川とコーヒー

わたしは、かなりの川好きです。自分のコーヒーショップは、都会でも田舎でも場所はどこであれ、川の見える場所に作ろうと決めています。

 

川の流れを見ていると飽きません、せせらぎの音が聞こえれば、なお良しです。

 

最近、日本は亜熱帯になったのかと思うほど暑い日が続いています。もっぱら子供とは川遊びを楽しんでいます。

 

昔も今も、子供たちは川遊びが大好き。そして、おじさんもおじいさんも若いお兄さんも、ニコニコしています。こんな雰囲気が大好きです。

 

川遊びを楽しんだ後、自家製の水出しコーヒーを飲む。最高のひとときです。

 

本当は、川の水をろ過し煮沸して、コーヒー用の水を作りたいですが、ちょっと心配でそれはしていません。

 

亜熱帯のような気象、信用できなくなった川の水、ちょっと残念な世の中になってきました。今年は、ほとんど梅雨の雨がなく、春も秋も年を追うごとに短くなっているような気がします。

 

でも、これは自分たちの責任だと思います。子供たちが、川遊びさえ出来ない川にならないように、人生の先輩として一人ひとりが気を付けなければいけませんね。

「待つ」ことについて

kyouki.hatenablog.com

 

わたしが読者である「ICHIROYAさんのブログ」の記事に非常に感銘を受けました。このブログを読んで、思いだしたことを書きたいと思います。

 

わたしが今勤めている商社に、転職したばかりのときの話です。わたしは、おそらく営業に配属されるだろうから「バリバリ仕事をがんばるぞ」と意気込んでいました。ですが、配属先は営業支援関係の間接部門でした。

 

そして、仕事の内容はというとお客さんの新規開拓です。商品も客筋も何も教えられないまま、飛び込み営業に行ってこいと言われました。

 

ビビりながらも、全く会ったときもない会社の社長さん相手に面談。とにかく会社のPR、いかにそのお客さんにメリットを出せるかを必死でしゃべていました。

 

100軒お客さんを回っても、商品はひとつも売れませんでした。

 

そんなとき、とあるメーカーの所長さんから電話があり「○○さん、ちょっと、仕事さぼらない?」と言われファミレスでコーヒーをご馳走になりました。

 

「○○さん、なんか、あせっているよね?」事務所内で見たわたしの顔色を敏感に察知したようです。

 

今までのことを話したら「それは、○○さんがしゃべりすぎるからだよ。どんなに無口な人でも、本当はみんな自分のことを話したいんだよ。それをあなたがしゃべりすぎたら、相手はしゃべれないよね。」

 

「相手にしゃべらせるには、待つんだよ。沈黙は怖いかもしれないけど、相手も怖いからきっとしゃべりだす。人間自分の話を聞いてくれる人が好きだから、多分商品を買ってくれると思うよ。」

 

半信半疑でした。でも、他に手がないので、試してみました。結果、売れました。10軒に一軒は、商品を買ってくれて最終目標である口座取引開始になっていきます。

 

「面談させて欲しい」と言ってきたわたし(営業マン)が黙っている。当然相手の社長さんに「あんた何しに来たの?」と言われます。「社長の話が聞きたいんです。」というと社長さんは笑っています。

 

気が付くと社長は、自分の会社の社員の愚痴をこれでもかというぐらいに話をしています。「10分だけなら、面談していいよ」と言った社長と2時間以上面談しています。初対面なのに。

 

社長「あ!もうこんな時間だ!会社の案内かなんか置いていったら」

わたし「いや、いいです」

社長「なんで?」

わたし「社長の話また聞きたいから、また今度来たとき持ってきます」

 

社長は、笑っています。

 

前職では、コンピュータの技術職だったわたし。営業の仕事って、しゃべることだと思っていました。

 

そのとき、営業の仕事って聞く(=待つ)仕事なんだと確信しました。異論がある方もいるかと思いますが、何もないところから自分を認めてもらうには、逆に相手の存在を本気で認めることだと思います。

 

相手の存在を認めるためには、相手の話を聞かなければ認めることは出来ないと思います。相手が本当のことを話してくれるまで、待つこと。

 

相手のこころに響く仕事をしたいものです。

 

そして、ICHIROYAさんのブログのそば屋さん、すごいと思いました。

 

例えば、毎日のように先方に行って「売ってください」というお願いするのもひとつの情熱だと思います。

でもひたすら待つことによって、結果奥さんの心に何よりも激しい衝撃を与えたんでしょう。人の心を動かすって、こういうことなんでしょうね。

 

わたしの話も、ICHIROYAさんの話しも共通しているのは、「待つ」ということですが、「人の話を待たずに自分の話をする人」、「自分の想いを実現することばかり考え相手の気持ちを尊重し待つことが出来ない人」が自分も含め多いと思います。

 

ちょっと気持ちを切り替えて、心に余裕を持って相手を待っていると思わぬ発見があったり、良い方向に話が動いたりするのを実感するときがあります。

 

とかく現代社会は、せわしなく結果を早く求めがちになりますが、折角人として生まれて、人との出会いがあるのですから、人の話はちゃんと腰を据えて聞かないと人生損するような気がしています(笑)

 

ICHIROYAさん素敵な話ありがとうございました!