CAFE Sharonへの道のり

Sharonという名のカフェを開きます。日々思ったことを書いています。

コーヒーと音楽について④

おととしの5月、46歳という若さで、突如心不全で亡くなられた吉村秀樹さん。bloodthirsty butchersというバンドのボーカル・ギターを担当していた方です。

 

とあるギター雑誌で読んだ記事が気になり、その夜、YouTubeで、bloodthirsty butchersで検索すると、サムネイルの中で、ひときわ目立って見えた朝焼けの風景。それが「7月」という曲でした。

 

いつものように、ビール片手にYouTubeを見ていたわたし。「7月」をクリックした段階から、かなりの尿意がありました(笑)。

 

Bloodという単語から、ハードなサウンドイメージを勝手に描いていたわたしは、そのイントロに拍子抜けすると同時に、何とも言えない感情にとらわれました。

 

そして、決してうまいとは言えないボーカル。でも、どんどん引き込まれていく自分。トータル10分間ほどのロックとしては、非常に長い曲、でも全く長く感じない。このまま、終わらないで欲しい。

 

それが「7月」という曲と出会った感想です。

 

YouTubeにも一時停止ボタンはありますが、なぜか曲を止めたらその曲がネットの藻屑と消えてしまいそうな気がして(笑)、本気で漏れそうになりながら(笑)、連続3回都合30分「7月」を聴いていました。

 

トイレに行った後、落ち着いてもう一度再生。夢じゃなかったんだと再認識。わたしには、この曲を解説する技術がありません。一度みなさんにもYouTubeで、ご覧頂きたいです。

 

余談ですが、吉村秀樹さんってわたしの幼なじみとイメージが、だぶるんですよね。彼は、わたしにRCサクセションを教えてくれました。

 

ガキ大将タイプで、面倒見がよくて、友達も多いけど敵も多いタイプ。わたしとは、正反対な感じで、高校も違うところに進学したんですが、学校帰りにたまたま会うと必ず「今日の夜、俺んちに来い!」と言ってくれました。

 

彼にとっては、わたしが明日テストだろうが関係ないし、わたしも彼に誘われるとうれしくてテスト前日でも必ず夜中に彼の家に行っていました。

 

彼の部屋には、必ずウィスキーがあり、煙草を吸いながらRCをかけてくれ、音楽や女の子のこととか夜遅くまで語り合っていました。

 

彼は、高校を卒業し、稼業を継ぐため東京の仕入先に修業入りしていました。20歳の夏、吉村秀樹さんと同じく心不全であっさりこの世を去りました。

 

風邪をひいていたみたいです。風邪が長引いていたのに、高速道路をお客さんのところに向かっていたそうです。パーキングエリアで同乗していた上司の方が、缶コーヒーか何か買いに行き、戻ってきたら運転先で眠るように亡くなっていたそうです。

 

わたしは、信じることが出来ないし、信じたくないのでお通夜もお葬式も行きませんでした。

 

その数年後の夏、彼のおふくろさんに葬式に出なかったことを謝り、線香をあげさせてもらいました。

 

手土産に持って行ったオールドパーというウィスキー。おふくろさんが、飲んじゃおうというんで夜中まで二人で飲みました。

 

暗黙の了解で、彼が亡くなったことには触れず、「あんな馬鹿なことをして親を困らせた」とか思い出話しを延々と・・・。

 

深夜1時ころ、「そろそろ帰るよ」といい、玄関のドアを閉めた後、おふくろさんの号泣する声が聞こえてきました。

 

彼も、吉村さんも忽然とわたしのもとから消えていきましたが、全く実感がありません。

 

ひとつ心残りなのは、bloodthirsty butchersに出会ってから毎日のように聴いていたわたしは、ライブに絶対行こうと思っていましたが、吉村さんの急逝でライブには一度も行けていません。

 

おそらく吉村さんなら、「やりたいと思ったときにやらないからだめなんだよ」とかいいそうです。

 

今のわたしに足りないもの、熱情と瞬発力のような気がします。彼らのように激しく生きることができないわたしですが、Sharon実現のために静かな熱情をもって生きていきたいとおもいます